ブランドヒストリー

●ヴァードマンサーフボード


1937年に彼の両親はハモサビーチに引っ越してきました。そこからソニー・ヴァードマンのビーチライフがスタートします。

1948年、Al Holland(アルホランド)シェイプの当時"Kook box"と呼ばれていた木製のサーフボードでサーフィンを始めました。

1950年、彼が13歳になるまで、"Hermosa Seals Surf Club"と呼ばれるサーフクラブに所属し、Dale Velzyのバルサボードを愛用していました。
そのころMira Costa High School(ミラコスタハイスクール)に入学します。
Mira Costa High Schoolは多くの有名なサーファーを輩出したサーフィン界のいわば名門校です。

1950年代初頭のイースター休暇。ソニーは友人の、Mike Bright(マイク・ブライト), Ole Ming(オーレ・ミン) とトラッセルズへサーフトリップに出かけました。
天気が良く、波も面ツル。極上のコンディションで、Trestlesの8ftパーフェクトウェーブを堪能したそうです。
トラッセルズに向かう途中、海軍の敷地を通らなければならなかったのですが、セキュリティーの監視をを潜り抜け、こっそりとサーフィンするスリル感がまた楽しかったそうです。 彼らは昼ごはんの時以外は朝から晩まで一日中サーフィンを楽しみました。
ソニーとMike(マイク)はランチを持ってくるのを忘れてしまいましたが、Ole(オーレ)がバックパックから彼らの分の豚肉と豆の缶詰を取り出し二人に分けてくれたそうです。
ランチの後、アフタヌーンセッションを終えた彼らは、当時たくさんのサーファーが使用していたSan Mateo Creekの小道を通り抜けPCH 沿いの茂みの中に停めてある車へと戻りボードを屋根に縛りハモサビーチへと帰りました。

彼の父親はハモサビーチのJC Penny'storeのマネージャーで、ジョンもそこで働いていました。
The Penny crew neck T-shirtはSouthbayエリアのサーファーに一番人気の商品で、ソニーや当時の友人はTシャツ、ドレスシャツ、パンツなどを買いに行ってました。 
その頃、Richard Meyers(リチャード・メイヤーズ)という男がいました。彼は地元のサーフショップ向けに最初にシルクスクリーンでTシャツを作った人物です。
背中に大きなロゴ、正面には小さなロゴをあしらい、Hap Jacobs, Dale Velzy,その後はDewey WeberやSonny VardemanのTシャツも作りました。
TシャツはPenny'sのボディーを使用していました。


1955年10月、ソニーは初めてのハワイトリップに出かけました。
当時Santa Monica(サンタモニカ)でライフガードをしていたDave Rocklin(デイブ・ロックリン)がソニーとその他大勢のサーファーを連れ、格安ツアーを申し込み、Burbank Airport(バーバンク空港)から出発しました。

ソニーはSteve Voohees(スティーブ・ヴーヒズ),Bing Copeland(ビング・コープランド),MIke Bright(マイク・ブライト),Rick Stoner(リック・ストナー) and George Kepo'o(ジョージ・キーポ)と一緒でした。
家族と別の場所で滞在していたGeorge以外は皆、Makaha(マカハ)に滞在しました。
彼らは、その年の秋?冬までMakahaに滞在し、ノースショアにも時々行きました。


滞在期間中は1937年製のPlymouth(プリマス)セダンが彼らの愛車でした。
1956年Steve VooheesとソニーはパールハーバーのNavy(海軍)に入隊しLight cruiser(軽巡洋艦)の乗組員となりました。
Bing Copeland とRick StonerはCoast Guard(沿岸警備隊)に、Mike Brightはtownに移り住み、TommyZahnとJoe Quiggとともにパドルボードのトレーニングに励みました。
1958年ソニーはカリフォルニアのハモサビーチに戻り、サーフボードのグラッシングを始めました。
BingとRickもニュージーランドから戻り、ソニーとMike(グラッシング)と一緒に働き、彼らはシェイピングを始めました。
ソニーの家のガレージにはボードシェイプ&ラミネート用の馬が沢山並べてあり、ある日ソニーの父親がその状況に怒り、彼ら追い出しました。
これがきっかけとなり、Bing(ビング)とRick(リック)が店を持ちパートナーとなりました。
当時ソニー、Bing(ビング),RIck(リック)にとってボード作りはあくまでもサイドビジネスでしたので、ソニーとRick(リック)はライフガードに、Bing(ビング)は郵便局で働いていました。

1956年、彼らが徴兵期間中Greg Noll(グレッグ・ノール)に出会いました。
GregはマンハッタンビーチのPCH沿いに店をオープンしましたが、その後1年で店をHermosa Beach(ハモサビーチ)に店を移しました。
その後1960年代にGregはビッグウェーブライダーの代名詞と呼ばれるようになりました。
Gregはサーフムービーの製作もしていました。 1959年にそのうちの1作品にソニーとRickも出演しております。
ソニーとRickはGregと一緒にメキシコトリップへ行ったこともあります。
彼らは1940年製の小さなトレーラーがついたFordを購入し、メキシコとの国境を超え、GregとMazatlan(マサトラン)で合流しました。


そこから彼らはSan Blas(サン・ブラス)へと向かいました。
旅の予算は$300。彼らは3か月メキシコを旅し、波を求めました。。
Mainland routeを通りMazatlanへ向かいました。 途中Cannon's point(キャノンズポイント)でRennie Yater(レニー・イエーター)と他の友人たちとサーフィンをしました。
Gary Severs とBing Copelandもそこにいました。
時には何日もの間、波を見つけることが出来ない日もありました。
Gregのサーフムービーは"Search for Surf"と名付けられ、彼らは新しいポイントを発見してはサーフィンし、ポイントに名前を付けSan Blasまで旅をつづけました。
Peechichini Pointはその一つです。

そのころ彼らはまだ20代前半で、次の10年間でサーフィンが次の次元へと昇華し、彼らが”Surf Rush”の一部となり、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、ペルー、そしてその他南米、南アフリカ、ヨーロッパを席巻することを予測していなかったでしょう。

メキシコトリップから戻ったソニーとMike Brightは”Surf Fiberglass”という名のグラスショップをスタートさせました。
彼らは当時あったほとんどのボードメーカーのグラッシングを行っていました。、Greg ,Dewey Weber,Bing and Rick,Hap Jacobsなど。
彼らは商業的にグラッシングを行った第一人者となりました。
グラスショップはProspect Ave とand 180th Stが交わる丘の上にありました。

1960年代初頭、ソニーとMikeはグラスショップを閉じました。MikeはBingとRickの店へ、ソニーは結婚しOrange countyへ引っ越しました。

そして、彼は自身のボード&ショップ"Vardeman Surfboards"を始めました。
最初の店はBingから購入し、Whittierという場所にオープンしましたが、そこには長く居らず、1962年、ソニーはHuntington Beachに新しい店をオープンしました。 3rd Stと PCHが交差する位置でした。

ソニーのショップでは、Bing,Dewey Weberと自身のブランド、Sonny Vardemanのボードを販売していました。
当時のボードはデッキ&ボトム面に10ozのクロス、ウッドのフィンでとても重いものでしたが、かなりの注文が入り、ある時期の帳簿を見ると1週間に300本ものボードを製造してた時期があるそうです。
当時のサーフィン業界はかなりのお金が動いており、一時的に大金を手にした者や、ボードを販売しようと広告を出したり、大会を開催したり、サーフチームを作ったりと、たくさんの物事が動き始めた時代です。
ここから今のサーフインダストリーが始まりました。

ソニーは自分でシェイプもしておりましたが、Bruce Jones(ブルース・ジョーンズ)とRandy Lewis(ランディー・ルイス)も彼のシェイプを手伝っていました。
当時ボードのラミネートをしていたのが、現在カリフォルニアを代表するハイクオリティーグラスカンパニーである"Watermans Guild"の経営者でありラミネーターでもあるGreg Martsです。

当時のビーチカルチャーブームにより、アメリカの内陸部から海沿いの街へ観光客が増加し、ビーチで問題が多発。それに困ったLAの役所がライフガードを設置したのがライフガードの起源と言われています。
当時のビーチカルチャーは様々な業界から注目され、それにまつわるハリウッド映画なども多く撮られました。
ソニーはそのうちのいくつかのシリーズのスーパーバイザーも努めていたそうです。
1969年にソニーは 1st と 2nd Stの間のHermosa Avenueに再びサーフショップをオープンしました。

店のセールスマンとして、当時SouthbayエリアのトップサーファーであったJeff Fischer(ジェフ・フィッシャー)が働いておりました。
そこでソニーは新しいアイディアとして、ハワイアンスタイルのコーデュロイショーツを作りたいとJeffに話します。
Jeffには裁縫が得意なPam(パム)という妹がいて、すぐに働くことになりました。
すぐに店は軌道に乗り、手が回らなくなるくらい忙しくなり、さらに新しいスタッフを雇ったそうです。
その後、Pamが旦那のTom Eberly(トム・エバリー)とハワイに引っ越すまで、トランクスのビジネスはうまくいきましたが、彼らの引っ越しを期に変わりのスタッフが見つからなくなり事業を閉鎖したそうです。
その秋ソニーは貯めていたお金をもってDive n Surfへ行き、そのころホットケーキのように次から次へと売れていくウェットスーツをクリスマスシーズン用の商材としてたくさん仕入れました。
クリスマス休暇中にスキーをしていた最中ソニーは1本の電話を受けました。
彼の休暇中に泥棒が入り、ウェットスーツがすべて盗まれたそうです。
大きなショックを受けたソニーは立ち直る元気もなく再び店を閉めたそうです。

それから1980年代に彼が再びガレージでシェイプを始めるまで10年がかかりました。
丁度ロングボードリヴァイバルが始まる前のことです。
その時にWatermans Guild のGreg Martsはソニーに電話をかけます。
”Hey man get down here and shape some boards, the old boards are happening again.”
(またロングボードが流行ってるんだ、ここへきてボード削ってくれよ。)
それから現在に至るまでVardeman SurfboardsはWatermans Guildにて作り続けられています。

ミニシモンズ、ファンボード、ピッグ、グライダーと多彩なバリエーション。
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